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久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった (久米 宏)


 2026年〈令和8年〉1月1日にご逝去された久米宏さん “書き下ろし自叙伝” です。

 ちょっと前(2017年)に刊行された本ですが、久米さんを悼むSNSの投稿で、その人となりを偲ぶ著作として紹介されていました。

 私は、久米さんがTBSアナウンサーとして活躍していたころから、「ザ・ベストテン」「ぴったしカン・カン」「ニュースステーション」・・・と同時代をともにしたファンとして注目し続けていたのですが、今般の訃報にあたり、改めて久米さんの歩んで来られた足跡を少しでも辿ってみようと手に取った次第です。

 内容は想像していたとおりとても刺激的で、久米さんの人柄を思うに然もありなんといったエピソードが数多く紹介されていました。
 それらの中から特に印象に残ったところをいくつか書き留めておきましょう。

 まずは、「第三章 生放送は暴走する」から。
 久米さんは、1967年TBSにアナウンサーとして入社、最初の仕事場はラジオでした。その後、テレビ番組「ぴったしカンカン」「料理天国」、そして伝説の歌番組「ザ・ベストテン」の司会を経て、1979年にフリーとなりました。
 目指したのは、テレビという映像媒体の特性を活かした新たなスタイルのニュース番組でした。

(p127より引用) 放送はモノを生み出すことはできない。できるのは考え方や感じ方、生き方の小さなヒントを伝えること、そして視聴者に少しでも得をしたと感じてもらうことくらいだ。放送という世界に携わった以上、世の中の役に立つ番組にするという青臭い目標を失ってはいけないと思う。
 問題は何をもって「役に立つ」とするか。僕が理想として思い描くのは「誰もが自由にものを言える社会」だ。

 当時の久米さんが抱いていた “放送人” としての想いです。

 それを具現化しようとした最初の番組が、横山やすしさんと生放送で挑んだ「久米宏のTVスクランブル」でした。この「TVスクランブル」の放送と並行して、「ニュースステーション」の企画が練られていきました。

 そして、「ニュースステーション」
 その斬新な構成に加えて、ニュースやインタービューを受けての久米さんの “ひと言” が大きく話題になりました。
 「ニュースを伝える立場」ではなく「ニュースを見る立場」を起点に、自らをキャスターというより “視聴者代表の司会者” と位置づけた久米さん。その発するコメントの意味をこう語っています。

(p217より引用) それはもちろん、「何をバカなことを言ってるんだ!」という反発を招く危険性が常にある。でも僕のコメントによって、テレビを見る側に何か反応が生じればそれでいい
 「あの久米でさえこれだけ言うのだから、自分ももっと発言していいはずだ」
 黙って見ているだけではなく、自分も言う、あいつも言う。周りの言うとおりに右や左を向いたりせずに自分個人の意見を言う。そういう空気をつくることこそ、僕がコメントに込めた思いだった。

 計算ずくのコメントは、 “ニュースステーション(=久米さん)が発するメッセージ” として しっかりと視聴者に届いていました。コメントの対象者からの反応・反発がその証左です。

 さらに、「第六章 ニュース番組の使命」の章では、こうも語っています。

(p235より引用) 枠にとらわれないといっても、ニュース番組である限りキャスターのコメントには一つの方向性が必要だ。どこに軸を置くか。ひと言でいえば、それは「反権力」だ。

 “メディアの役割は権力のチェック” だと言い切る久米さん。さらに言葉は続きます。

(p235より引用) メディア、特にテレビや新聞報道の使命とは、時の権力を批判すること以外にはないと僕は信じている。マスメディアが体制と同じ位置に立てば、その国が亡びの道を歩むことは、第二次世界大戦時の大本営発表を例に出すまでもなく歴史が証明している。現政権がどんな政権であろうが、それにおもねるメディアは消えていくべきだ。
 マスメディアは行政・立法・司法機関を監視し批判することが最大の仕事となる。もちろん、マスメディアも「第四の権力」として権力の一翼を担っていると言われれば否定はできない。だから批判は時に自身にも向けられなければならない。

 「反権力」、まさにこの最も堅持すべき基軸が、今のマスメディアに絶望的に欠落しているのです。

 「ニュースステーション」は、番組として “中立性” を保とうとはしませんでした。社会全体で、“時の権力” とバランスをとるべく ”反権力” という立ち位置を標榜しました。
 これは、もちろん久米さんの想いによるところが大きいのですが、当時の放送関係者、制作スタッフ、出演者の方々・・・同じ想いを抱いたみなさんの信念が実現させた偉業でした。

 今、オールドメディアと揶揄される「新聞」「テレビ」ですが、その存在価値の沈潜は、メディアの形式が古いからではありません。
 それは “メディアたる本質” を自己否定したが故であり、 そこに何の「覚悟」も感じられないからでしょう。