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美術展の不都合な真実 (古賀 太)


 

 いつも利用している図書館の書架を眺めていて、タイトルが気になったので手に取ってみました。

 著者の古賀太さんは実際、国際交流基金や新聞社の事業部で日本美術の海外展開や美術展の企画に携わってきました。その古賀さんが、様々な観点から昨今盛んに開催されている「美術展」の実態を紹介していきます。

 通常では伺い知ることのできない内容ばかりでとても興味深かったのですが、それらの中から、特に私の印象に残ったところをいくつか覚えとして書き留めておきます。

 まず、古賀さんは、美術館への「1日あたりの入場者数」と「年間入場者数」との世界ランキングからみた日本の美術館や展覧会の特殊性について、冒頭、こう解説しています。

(p19より引用) 21世紀に入ってからの2つのランキングの顔ぶれは、だいたい同じと言える。展覧会の1日あたりの入場者数では日本は毎年2、3本入るが、美術館全体ではおおむね国立新美術館が20位前後にランクインするのみだ。これは何を意味するのか。
 まず日本の展覧会は世界的に見ても混んでおり、特に1日当たりの入場者数が多い。逆に言うと、日本の観客は落ち着いて絵や彫刻を見られる環境にない、ということだ。

 さらに、常設展と企画展との展示面積や鑑賞者数のバランスにおいても、日本と他の国々との違いは歴然としています。

(p22より引用) この状況は、日本の美術館や展覧会の特殊性を象徴的に表している。美術館や博物館はその所蔵作品を見るものではなく、国内外から作品を集めた企画展、つまり一過性のイベントを見る場所として一般に認識されているということだ。

 これらの古賀さんの指摘は、昨今の企画展ブームを鑑みるに大いに首肯できますね。

 この「企画展」ですが、主導しているのは、大手放送局や大手新聞社といった旧来型のマスメディアです。それら企業は、自社内に「文化事業部」といった組織をつくり、本業以外での収益確保事業を推し進めています。
 この動きに協調して観客確保に努めているのが日本の美術館・博物館だという構図です。

 これでは、各館がイニシアティブをとって、自らの所蔵収蔵物を中心に展示することによりその文化的意味を体系的に紹介することはできませんし、本来それを担うはずの学芸員の能力も高まりません。
 結果として、観客は、企画展としてパッケージされた玉石混交の作品群を、大勢の人が押しかけた狭い空間で、ベルトコンベアに乗せられたように一目観るだけという鑑賞スタイルを強いられるのです。

(p89より引用) 国立であれ公立であれ私立であれ、展覧会の開催をマスコミの資金や宣伝力が支えているのはどう考えてもゆがんだ構造であり、どちらにとってもよくない。そしてそれは世界の美術界のスタンダードからは大きく外れている

 美術館や美術展の実態を知る古賀さんは、本書で、多面的な観点から、日本の美術展の企画から開催までの仕組み紹介し、その問題点を指摘しています。

 しかしながら、同時に、古賀さんはその歪な姿の是正に向けた可能性に期待しています。
 そのひとつの流れが、現代美術の展示の場としてのビエンナーレトリエンナーレや、立体芸術等現代アートの恒久施設化を進める瀬戸内国際芸術祭をはじめとした地域発のイベントの拡がりです。

(p206より引用) このようなトリエンナーレや現代美術展が多くの観客で賑わっているのは、日本独特かもしれない。そこには新しい希望があるように思える。日本では西洋型の美術館・博物館は定着しなかったし、今後も無理かもしれない。マスコミの展覧会への関与もなくならないだろう。しかしひょっとすると現代美術の見せ方においては、世界のモデルとなる形が日本にできるかもしれない。

 マスメディアの大宣伝に踊らされ出来合いの企画展に殺到する現状を省みるに、自分たちの感性をもとに、各々の触れ方でアートに親しむ姿の方が、より humanity を感じますね。

 ちなみに、本書を読んで、さっそく国立西洋美術館の「常設展」に行ってきました。
 スマートフォン学芸員の方による解説音声も聞きながら館内を巡ったのですが、確かに、常設作品だけでも大いに見応えがありました。